参勤交代が、経済・人・物・文化にかくも影響を与えていた背景
有名中学入試問題で発見する「江戸時代の日本」①海陽中等教育学校
■大名行列が消滅した時「大打撃を受けた」もの
では、大名行列が消滅した時「大打撃を受けた」ものは何でしょう?
大名が消滅ではなく「大名行列」が消滅した時、ですよ?
それは「日雇い」の人たちです。
この話をすると「え!?大名行列にそんな人いるの?」とよく言われるのですが、実は大名行列の大半が日雇い=家臣ではない庶民です。
それと同時にその縮小版である「普通の武士の御一行様」も同じです。貧乏武家でも登城・出仕時のみ、決められている人数を揃えるために日雇いを使いました。おかげで草履取りが「今日の主君」の名前や顔を覚えられず、帰る時にやってきて草履を投げて寄越してくれないため(草履取りは身分が低すぎるので、1メートルぐらい離れた所から主君の前に草履を投げ揃えるのが常識)、雇った武士がいつまでも玄関で待ちぼうけを食わされる一幕もままありました。
●普通の武家の行列・御一行様の場合
主人のすぐ隣や周りにいる武士(側近・小姓など)と最後尾の重臣以外、全員日雇いの場合も少なくありませんでした。だから片手に収まる人数以外は全員という場合も…。
あまりにも貧乏な武士はどうしても人を集められないため、自分の兄弟や親戚をお供にするので反対に「ある意味、誰よりも安心できる」という皮肉さがあります。
●大名行列の場合
参勤交代は常在戦場を表すため、旅装というより軍装です。人数は幕府の規定があり、1万石は騎馬3~4騎・足軽20人・人足30人、合計54人。10万石で騎馬10騎・足軽80人・人足140~150人、合計で240人。
10万石でも280人程度の行列を仕立てるので、既に「御法度」。あらららら~。大藩は言うにや及ばずですが、大名行列は自家の示威行動でもあるのでプライドと対面にかけ、どうしても華美になってしまうからです。
そして大藩は前田家のように家老や重臣たちの石高も1万石以上だったりしますので、その家臣や陪臣たちが全員それぞれ自分の行列を仕立てているので、更に人数が増える。「参勤交代=武家の行列の集合体」と言えるんですね。
ところで人数違反で幕府から「減らせ」と咎められることはあっても、「処罰された」大名の話は聞きません。これは将軍以下幕閣たちも全員「自分たち武家には普段から何かと多数の人間が必要」だからで、どうしようもない必要悪だと分かっていたからなんですね。
これこそが「大名行列=日雇い人足が大量に必要=人件費、お金が必要」な最大の理由にして一番の悪影響を及ぼしたことなのです。
大名・武家が消滅すれば当然行列も無く、家臣たちも含め「毎日のようにあった職場」を日雇い人足たちは突然失うわけで、日本全国の結構な人数の人々が明治新政府のおかげで無職になってしまいました。
しかし何より悪影響を受けたのは「日雇いも含めた江戸の町そのもの」と言えましょう。